・ニートサポートナビは本当にニートを救うのか?12/ 7
・ニートは戦争へ行く!?11/28
・ニートを過保護にするな!8/30
・ニートはどこにいるのか?8/25
・ニートからの脱出方法についての個人的考察6/29
・ニート・ひきこもりのための経済的自立6/23
・なぜ今ニートか?6/23
・ニートとは?6/23
空の巣症候群
空の巣症候群(からのすしょうこうぐん、empty-nest syndrome)は、40代から50代の女性によく見られる抑うつ症状。子育てが終わり、子どもが家を巣立っていったあたりから出てくることが多いので、こう呼ばれる。燃えつき症候群、五月病などとも似通ったもの。子どもが自立し、夫は仕事で忙しく、構ってくれず、夫婦生活もないに等しくなり、涙もろくなり、夫の定年が近いというと、退職、即離婚といった方に展開していくこともある。
1月8日の日経新聞によると、核家族の主婦の9割が生きがいを「子ども」とあげているという。(複数回答可)
空の巣症候群にならないためにはどうしたらいいか?
ウィキペディアの定義によると、子どもが巣立ってしまうことが、この空の巣症候群の原因であるとされている。
ならば、子どもが巣立たなければ、主婦はいつまでも自分の生きがいを感じていることができる。
いつまでも、親と子が離れず、親離れ・子離れできない関係でいること。
子どもがいつまでも自分を頼っていてくれさえすれば、親は空の巣症候群にならずにすむ。
子どもがいい歳をして、巣立つこともなく、仕事するわけでもなく、親が世話を焼き続ければ、親は空の巣症候群にならずにすむ。
言いたいことはお分かりですね?
これがニートの温床です。
ニートが働き、自立した瞬間、母親はその存在意義がなくなる。
ならば、いつまでも子どもをいつまでも養い続けることで、母親は母親という役割を演じ続けることができる。
子どもをニートにしない方法、という親向けの書籍が多々発売されていますが、そんな本を買って、子どもを過保護にしていくことが、何よりの子どもをニートにする方法であると思う。
「ニートサイト」が増えたな、とネット上にニートサイトを見ていると、「ニートサポートナビ」というサイトを発見。
このサイトはニート・フリーターなどの状態にある本人および家族・関係者を支援し、応援する目的で運営しています。
このサイトを通じて、ひとりでも多くの方々の悩みが軽減され、豊かな人生を送ることができるように最大限のサポートをいたします。
だそうです。
でも、広告掲載は募集してます。
カウンセリング・人材紹介・資格取得・・・裏にクライアントの顔が見え隠れしてます。
運営会社は、株式会社シンクプロジェクト。
NPOではなく、株式会社なんです。
ニートの数はどんどん増え続けています。
そして、数が大きいということは、それはマーケットになるということ。
ニートは金銭的に裕福ではないかもしれませんがニートの後ろ盾になっている両親らはお金がないわけではないです。
野村総研が「萌え市場は4400億円の市場価値がある」、と述べたのと同じように、ニート市場の算出をしてるのかもしれません。
ただ個人的には、あまり好きになれないサイトです。
幸福な世の中なので、働かなくても生きていける。
繰り返しこのサイトで述べているが、ニートがニートのままでいられる社会は経済的に幸福だと言える。
[希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く]の中で、希望を失った若者が自暴自棄に陥り、結果、それが社会全体の治安を悪くするという趣旨の文章があったように思う。
出所が明らかでないのだが、「ニートを戦争に行かせればいい」という冗談とも本気ともつかないようなブログを読んだ。
もしかすると、ニートにとって戦争は必要なのかもしれない、と少しだけ思う。
ここは誤解して欲しくないのだが、戦争という行為そのものを全面肯定するつもりもない。
けれど、高度成長が終わり、バブルも弾け、社会が共通の希望を持てない現代において、「戦争」という国家的な強引な物語にニートに象徴される(自分を含めた)現代の若者を放り込むことに、もしかすると何らかの意味はあるのかもしれないと思うのだ。
フランスで若者の暴動を見ていると、雇用に対する不安というより、若者のどうしようもない世の中への鬱憤、自分がどうがんばっても世の中が変わらないことへの怒りがその表層にある気がしてならない。
残念ながら、人間は敵を必要としている。
「戦争」は社会維持のための、浄化装置なのかもしれない。
そんなことのない社会が一番の幸福であることはもちろんのことだが。
ニート支援に国が少しずつ力を注ぐよう。
文科省は「受験戦争の中で将来を具体的に考えずに進学した結果、明確な目標を持てない学生も多い。就職にも失敗し、ニートやフリーターになる場合もある」と指摘、大学入学直後からキャリア教育を充実させるとしている。
《キャリア教育》職業観を身に付け主体的に進路を選択する能力を育てる教育。
文科省は大学を職業訓練校するつもりなのだろうか?
「希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く」で山田 昌弘氏が指摘しているように、大学→企業というパイプラインが機能しなくなった現代において、キャリア教育により、大学生の就職率があがるはずはないというのは、どう考えても明らかに思う。
また、同じ記事の後半には首を傾げたくなるような記載がある。
文科省は「職業ガイダンス以外に、普段の授業の中でも、将来の目標や仕事について意識できるようなカリキュラムづくりが可能だ。就職だけでなく、どのような失敗や危機にも打ち勝てる『人生力』を身に付けてほしい」としている。
「どんな失敗や危機にも打ち勝てる『人生力』を身につけるカリキュラム」とはいったいなんなのだろう?
そんなカリキュラムが本当にあるのならば、僕は喜んで受講したいと思う。
文科省がこんなストンキョなことを言い出すことに、ニートに対する認識のズレの根本があるように思う。
大学生をマニュアルにはめ込み、「キャリア教育」を施せば、ニートもフリーターもいなくなるなんて、時代錯誤も甚だしい。
ニートやフリーターが受験戦争の弊害と認めている一方で、なぜ同じことを繰り返そうとするのだろう。
そんなことを思いながら、「過保護」ということばを思い出した。
ちょうど僕が小学校の頃、「親の過保護」が問題になったことがあるように思う。
学校の準備から、身の回りのことまですべて母親がやってしまうので、子どもがいつまでも自立しない。
子どもは反抗期を経て、大人になる。
いつしか親のことがうっとおしくなり、そして親離れをし、自立していく。
親離れできない子ども、子離れできない親。
合わせ鏡のような共依存関係の中で、自立できない子どもはそのことをいつまでも親のせいにし、そのことに責任を感じてしまう親は、より子どもを過保護にしていく。
「自立」と「過保護」の無限連鎖
国のニート支援というのも、同じことだ。
社会がニートを過保護にすればするほど、彼らの自立への道は閉ざされる。
そして、ニートは自分が自立できないことを社会のせいにし、社会はニートを自立させるためにより強固な抑圧のシステムを組もうとする。
社会から強要される自立とは、自立という名の抑圧である。
だからせめて、ニートを放ってあげられないだろうか?
彼らに必要なのは保護ではなく、支援なのだ。
子どもをニートにさせない、のではなく、ニートになった子どもをどう支援するか?
ニートが自立しようと思ったときに、そっと手を貸してあげるだけでいい。
子どもが失敗したときに、支えることができる最低限度のセーフティーネットでいい。
過保護から自立は生まれないのだから。
ニートということばが、一般化して久しい。
年金問題、社会保障の問題、労働問題、家族問題etc
どんな場所にも、「ニートの増加は・・・の悪化を招く」という文脈で語られる。
ニートに興味があって、もしくは人々のニートに対する興味に興味があって、このようなサイトを作ったのだけれど、実は僕はニートに会ったことがない。
友人など身の回りに、自嘲的に「俺、ニートだから」というような人物でも、稼ぎはわずかかもしれないがアルバイトをしているフリーターだったり、何とか現状を打破しようとしている就職希望者だったりする。
ネットで「ニートの日記」と検索しても、実はフリーターだったりで、純正ニートはいない。
僕自身も数ヶ月間ニートのような状態であったことはあるけれど、でも一休みって感じで旅行したり、好きな映画見たり、何もせずにのんびりした時間を過ごしただけで、その後は社会復帰し、ニート期間も、しばらくしたら働くかぁっていう意思はあった。
厳密な定義におけるニート。
「職に就いていない、学校機関に所属もしてない、そして就労に向けた具体的な訓練もしていない」人間はどこにいるのか?
ニートは失業者とは別に考えられているから、ジョブカフェで仕事を探している若者はニートとも少し違う。
いわゆる世間の人々が想像する、享楽的で、親のお金で遊んでいて、就職する気もなく、何をするわけでもなく遊び歩いているステレオ・タイプなニート。
本当にそんな人々が数十万人もいるのだろうか?
もちろん、0人であるとは思わない。ただその数十万人という数字が、作為的な気がするのは僕だけだろうか?
いきなりだけど、結論から。
ニートから脱出する方法はただひとつ、とにかく働くことであると思う。
それができないから、ニートになる?
そう、その通り。
けれど、働くことでしかニートから脱出はできない。
世の中不況だ、不況だと言われて久しいが、仕事ならいくらでもある。
求人情報を載せるwebサイトも雑誌もフリーペーパーも山ほどあるし、仕事さえ選ぶことをしなければ、いくらでも就職口はある。
ニートに限らず現代の若者の最大の悲劇は、職場と生活の場が離れてしまったことだと言われている。
サラリーマン・専業主婦型家族が、日本の一般的な家族像であり、その家族中で子どもは父親が外でどんな仕事をしているのか、まったく知ることはない。
つまり、「働く人間」というロールモデルを家族から得ることはできない。
そのことは、「将来なりたい職業ランキング」を見れば明らかである。
正確な資料がないのだが、たいていランクインする職業は
警察官、消防士、教師、看護婦、サッカー選手、野球選手などと言ったところだろうか?
このランキング入りした上位の共通点は何か?
どんな仕事をしているか想像しやすい職業、もっといえば、TVドラマの主人公になるような職業である。
TVを通じて、なんとなーくわかったような仕事に就こうとする。
ドラマで人気アイドルがパイロットを演じれば、航空会社の応募が増えるのと同じ。
M&Aが取り立たされるようになれば、証券会社への応募が増えるのと同じ。
結局、その程度でしか人は仕事を選ぼうとしない。
さて、ここで本題に戻る。
ニートから脱出するには働くことしかない。
どんな仕事でもいい、正社員じゃなくてもいい。
契約社員でも、派遣社員でも、アルバイトでもなんでもいい。
そして、イヤになったらすぐに辞めればいい。
星の数ほど求人はあるのだから、どこかに自分が合う職場がきっとある。
自分がなんとなくでやって行けると思った職場で、できるところまで働いてみればいい。
確かにニート・ひきこもりの状態から、仕事に就くことはキツイことだとは思う。
でも、一番キツイのは面接に行き、仕事に就くまで。
一度働いてみれば、必要以上に「働くこと」を恐れることもなくなる。
「どんな仕事をするか」ではなく、とにかくどんな仕事であっても、「働くこと」が重要だ。
「働くこと」を通じて、人と関わる経験を重ねること。
それが一番のニート脱出方法であると思う。
経済的自立、簡単に言えば、どうやってお金を稼ぐか?という一点に尽きる。
逆にいえば、本当に金銭的に裕福であれば、ニートではない。
「ニート」ということばはなかったが、働かないで生活できている人々は、昔から裕福層には存在したのだから。
現代のインターネットの発達は、ニート・ひきこもりのまま経済活動を行うことを可能にした。
ブログに日記を書き、人気が出れば、本を出版し、作家になれるかもしれない。
プログラムが書けるなら、在宅SEになれるかもしれない。
手先が器用で、小物が作れるなら、それをネットショップで売れば、雑貨屋さんになれるかもしれない。
最近流行のSOHOだって、もしかしたらニート・ひきこもりと紙一重なのかもしれない。
もちろん、誰もがそうなれるという保証はない。
けれど、パソコン1台でそれだけの可能性があるということは、ニート・ひきこもりにとっての希望ではないかと思う。
ニートにこれだけ社会の注目が集まっているのは、働くということの意味が変わってきていることも大きい。
社会が裕福になり、成熟社会になった今、働くことの自明性は希薄化している。
ニートに対する批判には、建前はどうあれ、「俺もイヤイヤ働いてるんだから、お前も働けよ」という感情論が先行する。
けれど、近い将来、ニート・ひきこもりから億万長者になる日が来るような気がする。
(一部ではもう来ているという意見もあるかも?)
億万長者と行かないまでも、現在でもインターネット等である程度のお金を稼ぎ、経済的に自立することは絶対に可能だと思う。
そのことを検証するためにも、またその先の可能性を探るということも、サイトを立ち上げたひとつの動機である。
2004年に玄田 有史/曲沼 美恵によって、「ニート―フリーターでもなく失業者でもなく」という一冊の本が出版されてから、一躍ニートということばが流行りはじめた。
今、テレビニュースや新聞などでも「ニート」ということばを聞かない日はないというくらい、「ニート」が取り上げられている。
ニートはさまざまな視点、切り口があり、単にニートを語るというよりは、ニートは何らかの社会問題の視点から捉えられる。
政治家は年金・社会保険の視点で。
財界の人間は、労働人口の減少という視点から。
若者論、家族論の視点から語る社会学者なども多いように思う。
つまり、ニートがあまりにも多くの要素を含んでいるため、各人が自分の都合いい文脈でニート語り、結果ニートそのものへの焦点がずれているのではないか?
もちろんどの論者も、「ニートをなくそう。子どもをニートにしないようにしよう」という点では一致している。
そして、それぞれが脱ニート、子どもをニートをさせない方法を提示しているが、僕が思うに有効な解決案にはなっていない。それどころか筋違いの方向に議論が進んでいることも多々ある。
働く必要がなければ、働かなければいい。
ニートになりたければ、ニートになればいい。
という意見はどこからか出ないのだろうか?
転職雑誌を毎週買って、「面白い仕事ないかな?」と思いながら、イヤイヤ会社勤めをするサラリーマンもニートもその本質においては変わらない気がする。
この時代において、僕らはお金ではない、「何か」のために働かなければならない。
「労働」=「お金を得るため、生活のため」というわかりやすい公式はもう通用しない。
「ニート・ひきこもり」を分析し、読み解くことでもう少し大きな価値観が構築できるのでは?と思い、あえてニート・ひきこもりを取り上げてみたい。
ニート(NEET)とは「Not in Employment, Education or Training」の略で、「職に就いていない、学校機関に所属もしてない、そして就労に向けた具体的な訓練もしていない」若者を指す。
つまり、無職で、学生でもなく、フリーターでもなく、失業者でもない若者のこと。
労働政策研究・研修機構副統括研究員の小杉礼子氏はニートを、以下の四種類に類型化している。
1)ヤンキー(非行)型 反社会的で享楽的。「今が楽しければいい」というタイプ 中卒、高校中退が多い。親も豊かとは言えない。2)ひきこもり型
社会との関係を築けず、こもってしまうタイプ
不登校やひきこもりを体験。人間関係を結ぶのが苦手。3)立ちすくみ(自己実現追求)型
就職を前に考え込んでしまい、行き詰ってしまうタイプ
大卒に多い。就職活動で自分らしい仕事を考えすぎて立ちすくむ。4)つまずき(自信喪失)型
いったんは就職したものの早々に辞め、自信を喪失したタイプ
その後の職探しを躊躇する。
おそらくこの類型化も大きく分ければ、1)と2)3)4)という2つに分けられる。
3)の立ちすくみ型、つまづき型もその類型を経て、結果的には、2)のひきこもり型になることが多いだろう。