週刊!木村剛に興味深いエントリーがあった。
NEETより厄介なTEET「TEET」とは私の造語だが、Tentatively in Education, Employment or Training の略で、Tentatively(一応、とりあえず)、学び、働き、職業訓練している人たちだ。どの企業でもこの「TEET」に手を焼いている。どこに行っても常に腰掛け意識の、言わば“NEET以上プロ未満”の連中である。
と定義し、エントリーの中で、次のような実例をあげている。
銀行に就職した東大卒のキャリア女性が「私、やっぱり菊川怜を目指して女優になります」と辞めたとか、「フジテレビの『あいのり』を見て私も旅に出たくなりました」と翌日から来なくなるということが実際にあるのだ。
もちろん、批判的な意見として紹介されているのだが、このTEET(ティートでいいのか?)の気持ちは痛いほどよくわかる。
どんなに一流企業で働いていても、それは「一応、とりあえず」で、どこかに本当に自分が必要とされている場所や、仕事があるという思いはどこかにある。
NEETが踏み出せずに悩んでいるのだとすれば、TEETは踏み出せたのはいいが、それが本当に正しいのか?常に悩んでいると言ったところだろうか。
僕らはずっと、「一応、とりあえず」で小中学校を出て、高校・大学へと進学する。
そして、「一応、とりあえず」で就職活動をして、「一応、とりあえず」で企業に入る。
就職した瞬間にその仕事に誇りを持つことなんてあるわけがない。
誇りなんて、仕事をしていく日々の中で培われていくもの。
だから、別にいいのだと思う。
そもそも僕らは「一応、とりあえず」生きているんですから。
我慢できなきゃ辞めればいい。
いつか仕事に誇りを持てるようになる
いつかいいことがある
いつか、絶対に来ない。
(けれど、仕事を辞めたからといって、その「いつか」が来るわけでもない)
NEETもTEETも、これからどんどん増えていくことは間違いない。
でも、それでいいと思う。
人々が「仕事」というものに、過剰な期待や、過剰な不安を持つことがなくなり、「仕事は仕事」「人生は人生」と分けて考えることが必要なのだと思う。
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この記事を読んで、ティートが増え続ける社会・・・と想像しているうちに、イギリス社会のことを思い出しました。人生を仕事にだけ価値を持たせるのではなく、個人の生き甲斐ある生活を大切にしているイギリス人の哲学とイギリス流スローライフがだぶって思い出されたのでした。日本社会もティートの存在が日本社会を悪くするという考えだけではなく、良い意味で社会を変えていくのではないかと思うのは希望的観測でしょうか。
>澤田さん
僕もまったくの同意見です。
仕事に価値を見出す人を批判つもりはまったくありませんし、いいことだと思います。
それがすべての価値観ではなく、とりあえず、仕事は適当に働いて、それよりも自分がより楽しく生きるためにはどうすればいいか?ってことを誰もが考え出せば、よい社会になるという希望的観測を持ってます。
そうなんだよなあ。わかってるなあ、ここのひとたち。RESPECT!