斎藤環は今のニート・ひきこもりに象徴される若者の「確固たる自信のなさ」について、近年流行の勝ち組・負け組という二極化とあわせて次のように本書の中で述べている。
彼ら(若者たち)は、負けたと思い込むことにおいて、自らのプライドを温存しているのではないか。(略)
むしろ現状を否定することで、より高い理念の側にプライドを確保することが、彼らが「正気」でいられる唯一の手段なのではないか。(P20)
つまり、彼らは戦うことをしようとしない。
だから、決して敗れることもなく、プライドが傷つくこともない。
自らの「自傷的自己愛」にしがみつき続ける。
そして、彼らこそが「『負けた』教の信者」であると。
本書は『中央公論』誌に03年1月~04年12月まで連載された時評を再編集したものであるので、論文のような一貫性は薄い。
けれど、書き下ろしの「はじめに」という10ページほどの文章は現代の若者論を的確に評している。
また「Ⅳ ニートたちはなぜ成熟できないか」では、若者の世代論を「転向」というキーワードで読み解いているのも面白い。
キーワードは「自傷的自己愛」「自虐」
自分で自分を愛し、そしてそうして愛した自分を傷つけ、トラウマを抱え込むことでしか自らを確認できない若者がニート・ひきこもりになっているのだ。
あなたに彼らを「愛する」自信がないなら、どうかせめて、無関心のままでいてはくれまいか。(P21)
この意見にはものすごく同意できる。
ニート・ひきこもりへの対処法は、人々が彼らに無関心でいること。
人々の無責任な眼差しが、ニート・ひきこもりの自立を妨げているのだから。
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初めて訪問して興味深く拝見しました、「負けた」教の信者です。
でも私の場合は、経験によって裏打ちされた「負け」です。脳内負けではありません。
就職もして10年働いてきました。
でもやっぱり無理がきたのです。
おっしゃるようにニートから抜け出すには「まず働くこと」というのは共感できます。
自信というのは、「経験」からしかでてきません。それは小さな成功体験でいいのです。
そのためには「働く」というのはとてもいい手段です。
一方で私みたいなすれた30代になると、「負け」体験から「負けぐせ」がつき、中々思考回路もかわりません。
事実が「負けてるよ、君」といい続けているときに自信を持つのは至難のわざです。というか政治家くらいじゃないとそういう厚顔無恥なことはできないわけです。
でもこのままじゃいけないってことはわかってるんですけどねぇ、、、。愚痴でしたヽ(;´Д`)ノ。
コメントありがとうございます。
「働く」という経験が必要なことと同じくらい、「負けること」「失敗すること」の経験も必要だと思います。
おそらくそこで、負け癖がついたと思ってしまうことや、失敗することが怖くなって何もできなくなることが一番ダメなのでは?
厚顔無恥に生きちゃえばいいんですよ、きっと(笑)